真実の力を通して富があり、平和の力を通して健康があります。
両者が一緒になって幸福をもたらします。
幸福は、純粋で利己的でない行動、態度、貢献をする人が獲得します。


天国、黄金郷、桃源郷、エデンの園、アラーの地、ユートピア、オリッサの地、黄金時代。これらの名前は、世界が平和で純粋で繁栄していた頃の記憶です。そこでは、人は花のようで、野は自然の花に飾られ、世界は花園でした。太陽は、維持をするものとして花園に黄金の光を注ぎ、新鮮さと高貴さがあふれていました。幸福な門が開かれていて、誰でも黄金の花園に招き入れてくれました。
かつて、世界はそんな花園でした。そして、再びそうなります。それを信頼することが、祝福の源になるのです。現在、人生の目的について、たくさんの質問がおこなわれています。ある人は生きるのに疲れ、希望を失っています。富が幸福をもたらしてくれるだろうと信じて、富を稼ぐために努力する人もいます。一方、富がある人は、健康でないかもしれません。そして、それが原因で不幸です。社会的評価の高い専門職を選ぶ人もいます。それが幸福をもたらしてくれると信じて。人間関係を通して幸福を探す人もいます。けれども、そのような尺度によってどれほどの幸福がもたらされたにしても、それは一時的なものであり、物質世界の限りある資源でしかありません。たくさんの事例にあるように、同時に同じ量の悲しみと不幸を運び込んでしまいます。

このように、純粋で継続する幸福を持つことができないのは、精神的な価値と力が破産してしまったことの結果です。精神的な真実に目覚めそれを活用することが幸福の源になります。真実の力を通して富があり、平和の力を通して健康があります。両者が一緒になって幸福をもたらします。強壮剤のように、精神的知識は希望のない者を希望に満ちあふれた者にしてくれます。純粋な幸福は、そうした新しい希望に満ちた地平線を見る者にもたらさせれます。忘れていた重要なことが思い出されます。その感覚は、家に帰るようなものです - 木々を見、風のにおいをかぐと、自分の心の深奥に近づいていることがわかります。

幸福の暖かさと快適さは、自分自身の中に隠されています。内面に向かい、平和と沈黙という内的な力から強さを取り出します。徳性を蘇生させていくと、幸福の水銀柱が上昇していきます。人々の幸福を奪いがちな物質世界で犠牲者になることなく相互に依存しながらどのように生きていくのか、その秘密がわかってきます。精神的知識の貯蔵庫にはどのように生きていくのか、どのように真実を持って行動するのか、その答えの宝があります。真実の行動は純粋であり、純粋性は幸福と快適さの母なのです。真実に満ちた行動は、強さと幸福を自分自身に、喜びを他の人にもたらします。精神的宝には、性質と行動をどのように改善していくのかのガイドラインがあります。多くの人にとって、自己の進歩と個性の改善は、幸福への門を開く鍵なのです。

人は、心の平和といいます。心の幸福は、混乱や暴力がない平和の状態です。自分の内面の平和は、知力の信頼をつくりだします。幸福の笛がやわらかくコンスタントに、そのような信頼を持つ者たちの心の中で奏でられます。それとは逆の挑戦的な状況であっても、恐れはありません。というのは、信頼の力が究極の勝利の保証をしてくれているからです。知力が精神的な知恵で啓発されているので、心には揺れ動いている雰囲気や疑問はありません。健康的な幸福の感情を維持している一方で、痛みや悲しみの負債を上手に解消してしまうことができます。どのような関係でも幸福と悲しみの感情を伴う世界で、幸福でいることについて学ぶ中で、最も偉大なレッスンは、“幸福を与え、幸福を受け取る。悲しみを与えても受け取ってもいけない”ということです。

幸福は、自己主権を持つことからやってくる繁栄です。自己主権とは、心、知力、性質、身体の感覚器官のマスターであるということであり、すべての力と徳性が完全だということであり、男性と女性の性質の完全なバランスを達成しているということです。一人一人の人間の魂の中に完璧な状態があります。そのような完璧性を探求する精神的な旅では、知力がその崇高な性質を発見するプロセスを通っていきます。幸福には値札はついていません。持ってくることも、買うことも、交換することもできません。 幸福は、純粋で利己的でない行動、態度、貢献をする人が獲得します。別な言い方をすれば、意識の質、一人一人の行動の質が人生の豊かさを決めるのです。

けれども、社会的、経済的、政治的安定性が幸福の源であり、人生の楽しみであると言われています。しかし、これらの領域のどれかひとつでも乱れると、幸福の水銀柱は下がってしまいます。人々の精神的、道徳的性質の犠牲の上に、すべての資源が社会経済的な基盤に集中されたならば、人生の優先順位は、間違ったものになり、幸福は侵食されていくでしょう。道徳的精神的な価値を考えることは、優先順位の再設定に役立ちます。そして、必要なときに予防的で前向きな尺度にすることができます。

幸福への道は黄金の機会で舗装されています。この旅の一歩一歩を歩くことには、何百倍の果実が返ってくるがあることが保証されています。この道で行われる行動は、幸福の線を引くペンを動かしているようなものです。一人一人が互いにこの道を歩き、集団行動し、世界の生きた風景の中に幸福の線を描くとき、幸福をより大きく分かち合うことができます。