協力をする人は協力を受け取ります。

協力をするにはどうしたらいいでしょうか。心のエネルギーを使い、他の人と仕事に対して良い感情と純粋な気持ちのバイブレーションを作り出すことです。遊離した状態を保ち、外側の環境ではなく、最も深い部分にある価値の影響を受けるようにして、知恵と言う形で鋭敏に協力をします。

人間にとって達成とは、崖や岩や坂や谷のある山を登るようなものです。目的とするものは、すばらしい達成である。このように考えたとき、頂上を目指して登山したい。そう熱望するでしょう。登山家であるには、登山に必要なスキルと知識を身に付け、充分な決意と意志の力を持つように努力しなければなりません。
そしてまた、 不可欠なある道具なしにはどのような登山も行えません。それは、協力という安全ロープです。協力によって、落ち着き、力、簡単さ、熱意を得ることができます。協力は、一人一人の登山家に一歩を踏み出す方法を提供してくれます。どんなに小さな一歩でも、その一歩一歩が集まって頂上に到達することができるのです。

協力は、ある人の成功が他の人の成功を犠牲にした上で達成されるというような取引ゲームではありません。協力の一貫した目的は人間の相互作用を通しての相互利益にあります。すなわち、相互尊重という原則の元に協力はあるのです。勇気、熟考、面倒を見ること、分かち合うことが協力の基本にあり、これらを土台にして協力関係が次第に形成されていきます。

鋭い識別力があれば、個人であれ集団であれ国であれ、いつ協力を必要としているのか、その時がわかり、正確な方法で協力をすることができます。そして、人と人との相互作用、相互関係も成功したものになるでしょう。

協力の方法は、例を提示してあげたり、愛や支援をしてあげたり、よく聴いてあげたりなど、簡単にできることばかりです。但し、どのような協力が必要か、どのように協力を提供したらよいか、正確な方法を見極める力が欠けていれば、相手の同意と満足が得られるような成功体験は得られないできないでしょう。それは、正確に病気の診断ができない医者のようなものです。患者は良くなるのではなく、治療によって生み出された混乱を体験することになります。

協力は、自分自身に重さではなく、簡単さがあるとき、可能になります。簡単さとは、精神が実直で気前がいいことを意味します。おおらかさがあるので、誰からも協力を受け取る価値ある者でいられるのです。もし、誰かが誰かに信頼を置いていれば、そのお返しに信頼が形成されることになるでしょう。そのような感覚が、力、尊敬、支援、一緒にいたいと思うような心地よい環境を生み出すのです。

協力することは、誰もが持つ責任です。けれども、協力を一瞬のものとしないで、協力のプロセスを促進する勇気と強さも必要です。ときには、責任を持った人が侮辱や批判の対象になります。基本的な準備が、支援のメカニズムを作り出すために求められます。良い準備があるからこそ自分自身を保護し、平静さと安定を維持できるのです。求められる態度のひとつは遊離です。遊離の状態にあるときには、どんな物であっても、個人のために何かを持っていくようなことはしません。遊離した状態を保ち、外側の環境ではなく、最も深い部分にある価値からの影響を受けるようにして、知恵と言う形で鋭い協力をあらわします。愛と協力という態度で他の人を見ることは - 非難された後であっても - 慈悲のビジョンを持つということです。慈悲のビジョンから生まれるさまざまな見解から、許しと寛容性と忍耐と哀れみがあることが理解されるでしょう。そのような性質を持っている人は、簡単に、途中で発生するかもしれない非協力のかたくなさを取り除いていくでしょう。
協力するためには、真摯でポジティブな態度を保つ一方で、一人一人の特別な役割を認識することが必要です。自分の内面にポジティブな考えがあれば、自動的に、そして簡単に他の人の心の中に協力という感情が作り出されるでしょう。協力を提供する方法は、心のエネルギーを使い、他の人と仕事への良い感情と純粋な気持ちのバイブレーションを作り出すことです。これがポジティブに、微妙に雰囲気に働きかけます。そうした純粋で微妙な努力が、オープンで深い熟考と成功に満ちた協力の循環のための基盤を用意するのです。

ある時間にある出来事が起こる。そのような自然な秩序のある『時』と『出来事』の協力は、私たちに忍耐をもたらしてくれます。時は価値があるものです。というのは、最良のものを必要なまさに意味あるその瞬間に達成するユニークな機会を提供してくれるからです。時は、時の重要性を認識することを選んだとき、一人一人に協力的になります。
世界の改革の途上で、一人一人が協力の指を差し出すのは今です - もし、心でなければ身体で。さもなければ富で。もし富みでなければ、他の人に協力を促すことで。もし、一人一人が指を差し出せば、協力して山を動かすことができます。そして、微妙な結びつきにより、私たちは、普遍的な兄弟愛は壊れることのないものであることを認識するでしょう。そして、協力が不可避のものになり、一緒に、新しくより高いところに到達するのです。